国指定文化財一覧

(名称をクリックすると解説へ移動します。)

区 分

種 別

指定年月日

名   称

員数

所在地

国宝

建造物

S29.3.20

光明寺二王門

1棟

睦寄町

重要文化財

建造物

S62.6.3

石田神社境内社 恵比須神社本殿

1棟

安国寺町

重要文化財

建造物

S47.5.15

旧岡花家住宅(木の花庵)

1棟

本宮町

重要文化財

絵画

M37.2.18

絹本著色 不動明王像

1幅

舘町

重要文化財

絵画

M37.2.18

絹本著色 仏涅槃図

1幅

寺町

重要文化財

古文書

S63.6.6

安国寺文書

5巻3幅

安国寺町

重要文化財

工芸品

T14.8.25

漆卓

1脚

七百石町

重要文化財

書跡

M37.2.18

絹本墨書 天庵和尚入寺山門疏

1巻

安国寺町

重要文化財

彫刻

H12.6.27

木造 釈迦如来及両脇侍坐像

3躯

安国寺町

重要文化財

彫刻

T6.4.5

木造 地蔵菩薩半跏像

1躯

安国寺町

重要文化財

彫刻

S16.11.6

木造 阿弥陀如来坐像

1躯

梅迫町

史跡名勝

天然記念物

史跡

H6.3.23

私市円山古墳

1基

私市町

史跡名勝

天然記念物

史跡

H4.5.6

聖塚・菖蒲塚古墳

2基

多田町

史跡名勝

天然記念物

名勝

S45.9.17

照福寺庭園

 

鷹栖町

重要有形

民俗文化財

有形民俗

文化財

S34.5.6

丹波焼コレクション

150点

若竹町

登録有形

文化財

建造物

17..12

綾部大橋

1基

並松町〜

味方町

登録有形

文化財

建造物

26.4.25

大本みろく殿

1棟

本宮町

国指定文化財一覧へ戻る≪

 

国指定文化財解説

 

私市円山古墳

指定年月日

平成6年3月23日 国指定

時代

古墳時代中期

ポイント

・京都府内最大の円墳

・高速道路上に復原整備

・金装の胡簶金具

image002.jpg

 私市町東部の山頂にある円山古墳は、近畿自動車道舞鶴線の予定路線内にあるため発掘調査した結果明らかになった古墳である。

 昭和62年度(1987)の調査によって、標高94mの山頂に経塚が発見された。同63(1988)に山頂部から中腹へかけて調査したところ、巨大な円墳であることがわかった。

 古墳は自然の山地を利用しており、直径70m、高さ10mで、南東部に巾18m・長さ10mの造り出しを設けている。墳丘の全面に葺石(フキイシ)を置いており、3段築成で、2段にわたって約1500個の埴輪を周らしている。埴輪は円筒埴輪が主で、造り出し部には家形・楯形など形象埴輪もあった。

 墳頂部は直径13mの円形で、木棺直葬で粘土を張った主体部が東西方向に2基、南北方向に1基あった。東西方向の二つの主体部は形式・副葬品ともほぼ同じで、足もとにあたる位置に鉄製の甲冑類一式、鏡、鉄鏃などがあり、棺中央部から頭部にかけて玉類・鉄槍などがあった。北側主体部からは矢を入れる胡簶の金装金具が発見された。

 京都府下最大の円墳で築造時期は5世紀中ごろと推定されている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

絹本著色 不動明王像

指定年月日

明治37年2月18日 国指定

時代

鎌倉時代

 不動明王画像は中央の岩の上に立ち、右手に剣、左手に羂索を持つ茶色の不動明王、左上に倶利伽羅不動と呼ばれる剣に竜の巻きついている様子が描かれている仏画である。倶利伽羅不動は、不動明王の化身した姿とされ、闘争中剣に化身した効果があがらず、倶利伽羅竜王に化身して敵の剣を呑んで倒そうとしたする伝説に基づいて描かれたものと思われる。鎌倉時代後期の作である。

 この画像は明治末年盗難にあい、模写本だけが残されている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

聖塚・菖蒲塚古墳

指定年月日

平成4年5月6日 国指定

時代

古墳時代中期

ポイント

・並ぶ大型方墳

・特殊な造り出し構造

・段築、葺石(フキイシ)、埴輪、周濠をもつ

kunisitei13.jpg

左 聖塚古墳・右 菖蒲塚古墳

 聖塚・菖蒲塚は吉美盆地の北東部にある大小2基の方墳である。

 両古墳については、明治時代に一部が発掘されたとの記録はあるが、墳丘の保存状態は良好である。昭和58(1983)、綾部市教育委員会によって周囲の水田部分が発掘調査され、墳丘規模と周濠(シュウゴウ)の存在が明らかとなり、合わせて多量の埴輪の出土をみた。

 聖塚は1辺54.2m、3段築成の方墳、菖蒲塚は1辺32.3m、2段築成の方墳であることが明らかとなった。また、両古墳とも南側に造出しがあり、そのうち菖蒲塚の造出しは東側が2段に突出する特殊な構造であることも明らかとなった。

 両古墳とも段築、葺石(フキイシ)、埴輪といった外表施設をもち、また、周濠をめぐらすなど古墳時代中期の大型前方後円墳と同じ築造手法をとっており綾部地域随一の有力古墳である。

 両古墳の築造年代は埴輪の形式から古墳時代中期、即ち5世紀の前半と考えられている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

漆卓

指定年月日

大正14年8月25日 国指定

時代

室町時代(永享4年=1432)

寸法

151cm×43.9cm、高さ102.7cm

ポイント

・室町時代の禅宗様(ゼンシュウヨウ)の経卓の逸品

・由緒を物語る銘文

岩王寺 漆卓.jpg

 髹漆卓(キュウシッタク)とは黒味がかった赤色の漆塗りの机という意味である。天板の左右が上方に曲る筆返しがつき、牡丹唐草文が透彫りされ、これを湾曲した4本の脚で支える中国風の机である。全体に漆を塗り、透彫りの部分は胡粉(ゴフン)下地の上に紅と緑で彩色され、その姿は簡潔で優美である。これらが全体として美しい調和を保ち、室町時代の禅宗様(ゼンシュウヨウ)の経卓の逸品として有名である。

 天板の裏は黒漆塗りで、そこに朱漆で銘文が書かれている。それによると永享4(1432)4月に岩王寺の住僧祐喜が41歳のとき彼の両親の現世安穏・後生善処と有縁無縁の衆生の平等利益などを祈って、この卓を岩王寺本堂薬師如来の前卓として施入したことがわかる。製作年代と伝来の由緒が正確である。

 禅宗様の経卓で伝来するものはきわめて少なく、保存の良好なことと共に、永享4年の銘文がある点できわめて重要である。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

木造 釈迦如来及両脇侍坐像

指定年月日

平成12年6月27日 国指定

時代

南北朝時代(暦応4年=1342)

作者

豪円

像高

釈迦159.5cm 文殊81.6cm 普賢81.7cm

ポイント

・鎌倉彫刻の伝統を受け継ぐ

・珍しい大円光

・禅宗本尊形式

kunisitei09.jpg

 釈迦如来像を中尊に文殊菩薩と普賢菩薩を配する禅宗本尊形式をとる。中尊は宝冠を頂き法界定印を結んで坐る。文殊菩薩は獅子、普賢菩薩は象にのる。

 各像は寄木造(ヨセギヅクリ)で、全体にまとまりがよく、面貌は俗化しながらも品位を失っていない。法衣の縁や襞の扱いも繁雑にはしらず節度を保っている。中尊は端正な表情で写実を主眼とする鎌倉彫刻の伝統を受継いでいる。このように大円光をつける例は珍しく、二重光背と調和し斬新な感じを与えている。肉身部は金粉を塗った粉溜(フンダミ)の技術を用いて金色とし、衣の部分は朱を塗り胡粉(ゴフン)をもりあげて文様をつくる盛上彩色である。3像とも玉眼(ギョクガン)を入れ、中尊は頭を耳の前後で矧ぐ三材製、両脇侍像は頭躰部を前後に矧いでいる。右脇侍像の胎内から「暦応□巳三月豪円」の墨書銘が見つかり、年代・作者が確定した。

 この三尊仏(サンゾンブツ)は全国的にみても南北朝時代のできのよい大作である。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

木造 地蔵菩薩半跏像

指定年月日

大正6年4月5日 国指定

時代

平安時代

像高

151cm

ポイント

・平安中期彫刻の典型的な美しさ

半跏(ハンカ)の形

・胸元に裳の上端を表現

kunisitei10.jpg

 仏殿の右側奥に安置され、木造・彩色・寄木造(ヨセギヅクリ)で温和な藤原様式の優れた仏像である。左手に宝珠、右手に錫杖をもつ像容は一般的な地蔵の形であるが、右足を垂れている半跏(ハンカ)の形と、衲衣を着けた胸元に裳の上端が表されているのは珍しい。肩の強い張り具合、胸元の安定した姿態に平安時代中期彫刻の典型的な美しさが感じられる。もとは彩色像であったが、今はすっかり剥落している。

 安国寺では足利尊氏の母上杉清子が男子出生をこの像に祈願して、尊氏を生んだと伝えている。現在でもこの地方では子安地蔵として参詣者が多い。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

絹本墨書 天庵和尚入寺山門疏

指定年月日

明治37年2月18日 国指定

時代

鎌倉〜南北朝時代

寸法

40.8cm 横279.2cm

ポイント

・乾峰士曇の書

・端正な筆法

安国寺 絹本墨書 天庵和尚入寺山門疏(3-1).jpg

 丹波安国寺の開山天庵妙受の晋山にあたって東福寺の乾峰士曇が祝って書いたのがこの山門疏である。士曇は妙受と同じく高峰顕日(後嵯峨天皇の皇子で鎌倉五山に歴住した高僧・仏国国師)の弟子で、南禅寺や東福寺に歴住し、尊氏の崇敬を受けた高僧である。奥書にある年号は絹地が欠けていてよくわからないが、はじめの字は「康」と読めるから、安国寺では康永元年(1342)のものと伝えている。

 この書は元の書風を自家のものとし、端正なうちにも鋭い筆法をあらわしていて、堂々とした書である。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

安国寺文書 附古記録

指定年月日

昭和63年6月6日 国指定

時代

鎌倉〜桃山時代(附古記録 江戸時代)

ポイント

・中世史研究の重要な史料

・足利歴代将軍関連の文書

・安国寺の由来を物語る

安国寺 安国寺文書(足利尊氏寄進状).jpg

足利尊氏寄進状

安国寺 安国寺文書(上杉清子仮名消息).jpg

上杉清子仮名消息

安国寺 安国寺文書(天庵妙受遺偈).jpg

天庵妙受遺偈

安国寺 安国寺文書(安国寺境内図).jpg

安国寺境内図

 安国寺には文保元年(1317)の比丘尼心会譲状を上限として、永禄9年(1566)の義将請文に至る74通の中世文書が保存されている。

 文書は寺領の荘園に関するものが中心で、足利歴代将軍の御教書(ミキョウショ)や引付頭人の奉書、守護や守護代の発給文書もあり、中世史研究の重要な史料である。なかでも尊氏が建武2年(1335)に日向国国富庄内の所領を安国寺に寄進した御教書は、後に全国に安国寺・利生塔の建立を発願した趣旨が示されているとして注目されている。

 また尊氏の母上杉清子の仮名消息があり、類例の少ない南北朝時代の女性の消息文として著名である。

 天庵妙受遺偈は安国寺の開山である天庵妙受が、康永4年(1345)1021日、79歳の生涯を終えるにあたって、安国寺の首座大衆に書き残した自筆の偈()である。筆致には臨終の迫る中で、満身の力をこめて筆を運んだ天庵和尚の気迫が感じられる。

 古記録は安国寺に伝わってきた文書類を宝永ごろ(18世紀はじめ)桂巌令昌和尚が書写したもので、現在すでに散逸した史料も書写されていて貴重である。安国寺境内図は南北朝時代の安国寺の境内規模を示す結界図(ケッカイズ)で、中世の絵図として注目される遺品である。

 

指定文化財一覧へ戻る≪

石田神社境内社恵比須神社本殿 附棟札

指定年月日

昭和62年6月3日 国指定

時代

鎌倉時代(延慶4年=1311)

規模形式

桁行三間、梁間二間、一重、切妻造(キリヅマヅクリ)、銅板葺

ポイント

・府北部最古の神社遺構

禅宗様(ゼンシュウヨウ)妻飾(ツマカザリ)虹梁(コウリョウ)大瓶束(タイヘイヅカ)

・透彫の蟇股

kunisitei02.jpg

 石田神社本殿右側にある境内社で、西宮大明神とも呼ばれる。もとは三間社流造(ナガレヅクリ)で、その身舎(モヤ)の部分が保存されているものである。建物は、太い木割り・蟇股の形状などから、室町時代前期には遡ると考えられる。石田神社本殿小屋根裏に残る鎌倉時代末期・延慶4年(1311)造立と棟札にある建物とみられる。正徳期建立の現石田神社本殿の前身建物(旧本殿)にあたる建物であろう。

 組物は三斗(ミツド)組で、両端では頭貫を肘木様にのばして連三斗(ツレミツド)を受けている。中備(ナカゾエ)として正面各間に透彫りの蟇股をおいている。正面に格子戸を両開きに建て、内部は内陣外陣に区画し、境に丸柱を建てて三間に割り、弊軸(ヘイジク)板戸構えにする。妻飾(ツマカザリ)虹梁(コウリョウ)大瓶束(タイヘイヅカ)禅宗様(ゼンシュウヨウ)である。屋根の桁から上の材は近世のものである。

 この本殿は庇部分を欠き、屋根の改造、縁の撤去、身舎柱の切縮め等、後世に改造されているものの、身舎部分の材はよく残り、また野棟木も遺存することから、ある程度の復原も可能になる。京都府北部に残る神社遺構としては最古のものである。全国的にみても禅宗様式が神社建築に取り入れられた早い例で、建築史上の価値は非常に高い。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

木造 阿弥陀如来坐像

指定年月日

昭和16116日 国指定

時代

鎌倉時代(元享元年=1321)

作者

法印尭円

像高

70.9cm

ポイント

・宋風の写実的な力強い作品

・袈裟をまとう

・着衣に鳳凰や蓮華唐草文

医王寺仏像.jpg

 

 端正な姿で定印を結び、玉眼(ギョクガン)入りで、着衣に鳳凰や蓮華唐草文を粉溜(フンダミ)の技法で表し、彩色で仕上げている。如来像は普通衲衣だけをつけるが、この像はその上に袈裟をまとう姿になっている。胎内背面に「元享元年三月日 法印尭円」の墨書銘があり、製作年代と作者がはっきりしているのは貴重である。尭円は京都三条仏所の十一面観音像などを彫った著名な仏師である。

 この像は藤原時代の優美な阿弥陀仏と違って、宋風の写実的な力強い作品である。

 地元梅垣町内谷の人たちによって崇敬護持されてきている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

光明寺二王門

指定年月日

明治37年2月18日 国指定

(昭和29年3月20日 国宝)

時代

鎌倉時代(宝治2年=1248)

規模形式

三間一戸(サンゲンイッコ)二重門(ニジュウモン)入母屋造(イリモヤヅクリ)栩葺(トチブキ)

ポイント

和様(ワウヨウ)二重門(ニジュウモン)

・上下層栩葺

・仁王信仰

kunisitei01.jpg

 鎌倉時代の類例の少ない和様(ワウヨウ)二重門(ニジュウモン)の遺構である。昭和26(1951)解体修理の際、上層の柱に宝治2年(1248)の墨書銘が発見された。下層天井板に転用されていた棟札には、仁治3年(1242)12月着工、建長5年(1253)5月竣工したことが記されており、建築時期が明らかになった。楔にも永正13(1516)の墨書があり、その頃修造改変があったかも知れない。

 平面は、三間一戸(サンゲンイッコ)で、両脇に二王像を祀る。後方の間に安置するのは地域色で、前方の間を板張りにして拝堂にしたとも言われ、仁王信仰の盛んであったことを示している。上層は和様高欄のうちに軸部がある。木組みはやや繊細で意匠的に格別注意を払った。屋根は上下とも栩葺(トチブキ)なのは珍しい。府下の古建築では極く稀である。(トキョウ)は上・下層とも三手先組で尾垂木を付している例は少ない。

 室町時代以降、禅宗の大寺院に多く見られる三門は禅宗様(ゼンシュウヨウ)(唐様)系統である。また、二重門の多くは、一階の屋根がない縁だけの楼門構造である。全体的に見て中世の数少ない和様系の二重門であることや栩葺の珍しい屋根などに価値があり、全体の姿も優れている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

丹波焼コレクション

指定年月日

昭和34年5月6日 国指定

時代

室町時代〜江戸時代

ポイント

・古丹波から近世丹波まで編年的に整理された資料

kunisitei15.jpg

 丹波焼は兵庫県篠山市今田町立杭を中心に、その周辺で古くから焼かれた陶器で、丹波・但馬で日用雑器として使用されていたものである。鎌倉時代から焼かれていたと考えられ、常滑・瀬戸・越前・信楽・備前とともに中世六古窯のひとつに数えられている。

 室町時代には穴窯で焼いていた。桃山時代には登窯を築いて焼くようになり、「赤ドベ」「灰ダラ」などの釉を用いるようになった。江戸時代になると製造は盛んになり、壺・鉢・徳利・朝倉山椒壺などあらゆる生活用品を生産した。

 大正末年に綾部へ来た守田種夫は丹波焼の美しさにひかれ、同好の士とともに作品を収集し研究した。昭和10(1935)頃には丹波焼の民芸的な美しさが全国的に喧伝され、丹波焼きブームが起こった。

 守田コレクションは古丹波から近世の丹波まで編年的に整理されていて貴重であり、そのうち150点が昭和34(1959)に国の重要民俗資料に指定された。昭和50(1975)3月、守田氏から綾部市に寄贈された。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

旧岡花家住宅

指定年月日

昭和47515日 国指定

時代

江戸時代

規模形式

桁行12.1m・梁行9.3m入母屋造(イリモヤヅクリ)妻入り(ツマイリ)、茅葺

ポイント

・能勢型の民家

kunisitei03.jpg

 旧岡花家住宅はもと京都府船井郡瑞穂町質志小字観音19番地にあった。いわゆる「能勢型」の民家である。江戸時代の質志村は綾部藩領で、岡花家は享保16(1731)の記録では石高24石余を有していた村内1〜2の高持百姓で、庄屋も勤めた家と考えられる。

 いま茶室になっている「おもて」の間が10畳の広さをもつことは村役人の集まりのためと思われる。柱はすべて釿仕上げで、外まわりは開口部が少ない。建物の形式・技法から17世紀後半の建物と推定されている。

 昭和47(1972)、大本本部が譲り受けて現地に移築し、「木の花庵」と名付け、主に茶室として一般に公開している。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

絹本著色 仏涅槃図

指定年月日

明治37218日 国指定

時代

鎌倉時代

寸法

118.8cm 横119.4cm

ポイント

・動きの激しい画面

・濃厚な色彩

・肥痩のある線

正暦寺 絹本著色 仏涅槃図.jpg

 涅槃図は釈迦入滅の215日、釈尊の遺徳奉讃追慕のために行う涅槃会の本尊とする仏画で、釈尊がまさに入滅しようとする劇的な場面を描いたものである。沙羅双樹の下にしずかに身を横たえて臨終を迎えようとする釈尊の姿を描いている。周囲には文殊、普賢などの諸菩薩、十大弟子、在家の信者たち、象・獅子などの動物までが描かれ、釈迦の死を悲しむ姿が表現されている。

 この涅槃図は鎌倉時代後期の作品で、時代の風潮を反映して動きの激しい画面を濃厚な色彩と肥痩のある線を駆使して描いている。大げさに泣き叫ぶ羅漢、身を転げて悶える禽獣の姿には活気と動きがあらわれされ、まとまりよく描かれている。

 寺伝では画僧兆殿司(チョウデンス)(明兆)筆と伝えているが、描き方からみて鎌倉時代の作と考えられている。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

照福寺庭園

指定年月日

昭和45年9月17日 国指定

時代

江戸時代(天保14年=1843)

ポイント

・築山林泉式の枯山水庭

・ややきびしい手法で作庭

・地元の山石を多用

kunisitei14.jpg

 この庭は本堂及び書院の北面にある。天保14(1843)当寺12世仙裔和尚によって作られたことが、当寺に残された「含勝庭仮山記」から明らかである。

 築山林泉式の枯山水庭で、地元の山石を多く用い、ややきびしい手法で作庭されていて、江戸末期ころの特色をよく表している。北西隅の築山に枯滝口を表わし、東に向かって徐々に低い築山となる。書院に面して滝口がひとつあり、石橋が渓流をわたる。鶴島に対する亀島は二つの築山の裾を長く岬のように手前に突出して島のように見せている。築山の裾をめぐって流れを表現し、本堂と書院は飛石で連絡され、さらに石橋をわたり築山に回遊できるようになっている。

 作庭年代が明らかであり、形態も完全に当初の姿を保っていて貴重な庭である。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

綾部大橋

指定年月日

平成17年7月12日 国登録

時代

昭和4年(1929)

ポイント

・鋼製7連トラス橋

・橋長210m・幅員5.2

・由良川と昭和初期の風情

kunisitei018.jpg

 綾部大橋は、綾部市が市街地の東方、府道広野綾部線が由良川を渡る地点に架けられた道路橋である。1スパン約30mのボーストリング・トラスを7つ連続して架け渡している。

 ボーストリング・トラスは、ドイツのハーコート社が開発したプレハブ橋で、我が国でも各地で架設されたが、現存するものは少ない。この綾部大橋は、静岡市安部川に架かる安部川橋〔大正12年(1923)・14径間〕に次ぐ多径間のものである。

 綾部大橋は、現役の道路橋として活用されており、由良川の昭和初期の風景を今に伝える貴重な橋である。

 

国指定文化財一覧へ戻る≪

大本みろく殿

指定年月日

平成26年4月25日 国登録

時代

昭和28年(1953)

ポイント

・大型の和風建築

・木造風に見せる鉄骨造の主構造

・綾部の街の優れた景観を形成する建物

 桁行50mを超す大建築で、鉄骨造の主構造を木造風に見せる壮大な規模の神殿である。平屋建て(一部地階付き)で、殿内は789畳敷、高さ23メートル。敷地面積1,931u、昭和28年(1953)4月完成。昭和60年に内部の音響改修と構造補強がされる。屋根は銅版葺。

 

国指定文化財覧へ戻る≪