京都府指定文化財一覧

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区分

種別

指定年月日

名称

員数

所在地

府指定

建造物

S62.4.15

篠田神社本殿

1棟

篠田町

府指定

建造物

S63.4.15

安国寺仏殿・方丈・庫裏

各1棟

安国寺町

府指定

建造物

S61.4.15

石田神社本殿

1棟

安国寺町

府指定

建造物

H3.4.19

八幡宮本殿

1棟

八津合町

府指定

建造物

H6.2.18

光明寺本堂

1棟

睦寄町

府指定

建造物

H22.3.23

齋神社本殿

1棟

下原町

府指定

建造物

 

八幡宮本殿・幣殿及び拝殿からなる建物

1棟

高津町

府指定

無形文化財

S58.4.15

黒谷和紙

 

黒谷町

府指定

絵画

S58.4.15

絹本著色 天庵妙受像

3幅

安国寺町

府指定

工芸品

H3.4.19

鰐口

1口

睦合町

府指定

工芸品

H3.4.19

鰐口

1口

睦寄町

府指定

名勝

H6.2.18

正暦寺庭園

 

寺町

府指定

天然記念物

H3.4.19

君尾山のトチノキ

 

五津合町

府指定

考古資料

16.3.19

私市円山古墳出土品

一括

里町

府登録

建造物

S62.4.15

阿須々岐神社本殿・摂社大川神社本殿

2棟

金河内町

府登録

建造物

S61.4.15

八幡神社本殿

1棟

渕垣町

府登録

建造物

H7.3.14

岩王寺本堂・仁王門

各1棟

七百石町

府登録

建造物

S63.4.15

安国寺山門・鐘楼

各1棟

安国寺町

府登録

建造物

S60.5.15

八幡宮本殿

1棟

於与岐町

府登録

建造物

H3.4.19

八幡宮一ノ鳥居

1基

八津合町

府登録

建造物

H14.3.26

高倉神社拝殿

1棟

高倉町

府登録

古文書

S63.4.15

制札

2枚

睦寄町

府登録・市指定

彫刻

S60. 4. 1S61.4.15

木造 随身坐像

2躯

五津合町

府登録

無形民俗文化財

S62.4.15

阿須々岐神社の祭礼芸能

 

金河内町

府登録

無形民俗文化財

S60.5.15

島万神社の太刀振・太鼓踊

 

中筋町

府登録

無形民俗文化財

S59.4.14

於与岐八幡宮の祭礼芸能

 

於与岐町

府決定

文化財環境保全地区

S62.4.15

阿須々岐神社文化財環境保全地区

 

金河内町

府決定

文化財環境保全地区

S61.4.15

石田神社文化財環境保全地区

 

安国寺町

府決定

文化財環境保全地区

S60.5.15

八幡宮文化財環境保全地区

 

於与岐町

府決定

文化財環境保全地区

H3.4.19

八幡宮文化財環境保全地区

 

八津合町

府決定

文化財環境保全地区

H14.3.26

高倉神社文化財環境保全地区

 

高倉町

府選定

文化財文化的景観

H21.3.24

グンゼの近代製糸産業景観

 

青野町

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京都府指定文化財解説

 

篠田神社本殿

指定年月日

昭和62年4月15日 府指定

時代

室町時代(永禄9年=1566)

規模形式

五間社流造(ナガレヅクリ)・銅板葺

ポイント

・室町時代の五間社

・保守的な形式技法

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 現本殿は室町時代の様式をもち、山家藩の記録には、永禄9年(1566)再建と記した棟札があるとしている。大正11(1922)に現拝殿の位置から全体の形状を損なうことなく移築改修されている。屋根葺材及び小屋根材の一部、向拝(ゴハイ)部分(組物を除く)、繋虹梁(コウリョウ)、縁廻りなどに取替材がみられるものの、当初材がよく残っている。

 丹波地域に残る室町時代の神社建築の遺構は、いずれも保守的な形式技法を踏襲している。当本殿でも、装飾として手挟み(タバサミ)4組を置くだけである。また、室町時代の五間社の神社本殿遺構は府内で他に一棟しか確認されておらず、当本殿のもつ価値は高い。

 

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阿須々岐神社本殿・摂社大川神社本殿 附棟札

阿須々伎神社 阿須々伎神社本殿・摂社大川神社本殿.jpg

 

阿須々岐神社本殿

指定年月日

昭和62415日 府登録

時代

江戸時代(享保6年=1721)

規模形式

一間社流造(ナガレヅクリ)(コケラブキ)

ポイント

・荘厳な境内

・古風な繰形(クリガタ)や渦絵様(エヨウ)

・立体的な妻飾(ツマカザリ)

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 現在の本殿は享保6年(1721)に再建された大型の建物で、八尺余の間口がある。全体の構成に古めかしさはあるものの、比較的すっきりとした建物で、西方村と坊河内村の大工の名がみられる。

 桃山時代にも見える蟇股・木鼻・大瓶束(タイヘイヅカ)繰形(クリガタ)や渦絵様(エヨウ)などは、当地域では少し下る構成である。建立後の文化2年(1805)に本殿の屋根葺替と向拝(ゴハイ)部の修造を行ったことが棟札からわかる。欄間の龍の彫物はこのとき付けられたらしい。

 

摂社大川神社本殿 附棟札

指定年月日

昭和62415日 府登録

時代

江戸時代(元禄14年=1701)

規模形式

一間社流造(ナガレヅクリ)、板葺

ポイント

・長板葺屋根

・古風な繰形(クリガタ)や渦絵様(エヨウ)

・簡素ですっきりした造り

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 やや小さな流造(ナガレヅクリ)で、屋根が厚い長板葺である点に特徴がある。直線的な鋭い屋根の形が古めかしい。棟札には大工として福知山住人半兵衛宗次を始め、屋河内や坊河内の大工の名が記されている。

 文化2年(1805)に縁回りの修理等が行われたことが縁板裏の墨書銘からわかる。蟇股・木鼻・大瓶束(タイヘイヅカ)繰形(クリガタ)や渦絵様(エヨウ)などは古様を示している。

 

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阿須々岐神社の祭礼芸能

指定年月日

昭和62415日 府登録

ポイント

・能と狂言、振物と花の踊、百射の神事

・中世的な祭礼芸能の特色を残す

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 10月の祭礼に奉納される芸能は、能と狂言・振物と花の踊・百射の神事に大きく分けられる。弓の射手が各町から出る百射のほかは町単位で分担し、持芸を年輪番制で奉納する。以前は3年毎のマツリドシに全ての芸能を1日で奉納していた。

 祭礼の日には百射の神事が行われた後、行列が境内へ練り込み、祭礼が始まる。振物は少青年が二人一組となり、棒や刀・薙刀などを手に、笛・太鼓のはやしで切組む風流系の芸能である。花の踊は、シンポチ二人を中心に大太鼓の拍子と歌方の音頭で踊る風流踊で、花の踊・露の踊など五曲を伝えた。振物と花の踊は本来一連の芸能で、セット芸として伝わったものと考えられる。

 この芸能の確かな由来はわからない。坊口町に伝わる能面は南北朝時代の古面で、能より一段と古い猿楽を行っていたらしい。中世的な祭礼に、新興の風流芸が加わって、現在の祭礼芸能が成立したと思われる。今なお中世的な祭礼芸能の特色をよく残しており、資料的価値の高い伝承で、貴重である。

 

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阿須々岐神社文化財環境保全地区

指定年月日

昭和62415日 府決定

ポイント

・中世的な祭礼芸能

・神事が行われる鎮守の森

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 背後の山と一体となった社叢には、シイやカシにまじり、スギやヒノキなどの高木が茂る。参道入口にあるスギの大木が神社の威厳を感じさせ、参道や境内周囲の森も「鎮守の森」としての景観を醸し出している。参道は石橋を渡ると大きく曲り、一の鳥居(木製両部鳥居)、二の鳥居(石造台輪鳥居)を経て至る境内は広く明るい。

 秋の大祭には中世的な特色をよく残す祭礼芸能が奉納されている。また、「志賀郷の七不思議」のひとつである茗荷神事も昔ながらの形をとって今も厳粛に行われている。

 

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高倉神社拝殿 附棟札

指定年月日

平成14年3月26日 府登録

時代

江戸時代(延享3年=1746)

規模形式

桁行三間、梁行二間、一重、切妻造(キリヅマヅクリ)、唐破風造拝所付、銅板葺

ポイント

・旧本殿

・唐破風造の拝所を付設

・せり出す(ツマ)

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 旧本殿である現在の拝殿は、延享3年(1746)に建立された。拝殿は、切妻造(キリヅマヅクリ)建物に唐破風造の拝所が付く。妻を二重虹梁(コウリョウ)とし、(ツマ)壁を二段階で前面に押し出す。屋根は現在銅板葺であるが、もとは桧皮葺であった。

 建物は妻側の構成以外にも、正面にある唐破風造の拝所が外観上の大きな特徴となっている。当建物のように拝所を構成する例は、当地域を中心に多く見られる。

 棟札によると大工は播州三木の室田庄右衛門家久と仁右衛門重家、彫物師は大坂の長谷川如泉、屋根葺師は福知山の松元五右衛門である。

 建物は全体的に装飾的な意匠となっており、氏子がいかに本殿再建に尽力したかがうかがえる。

 

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高倉神社文化財環境保全地区

指定年月日

平成14年3月26日 府決定

ポイント

・山麓の谷地にある鎮守の森

・綾部の名木100選に選ばれた名木

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 境内は東西に細長く、参道入り口から本殿まで雛檀状に高くなっている。社叢はスギ・ヒノキの針葉樹林とウラジロガシ・ツクバネガシからなる常緑広葉樹林に大別され、林床にはクマザサの群落がある。

 本殿北側の奥まったところにある『夫婦杉』、神楽舎前にある『御神木』、手水舎南側にあるシラカシは「綾部の名木100選」の選定を受けている名木である。

 

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八幡神社本殿 附棟札

指定年月日

昭和61年4月15日 府登録

時代

江戸時代 (元文4年=1739)

規模形式

三間社流造(ナガレヅクリ)・正面軒唐破風付・(コケラブキ)

ポイント

禅宗様式(ゼンシュウヨウシキ)社殿

・正面の蔀戸

・中世の建築部材を用いた近世風の仕立て

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 現本殿は丹波国守護仁木頼章が康永2年(1342)に造営した建物を、元文4年(1739)に氏子が修理再建したものと棟札からわかる。禅宗様式(ゼンシュウヨウシキ)をとり入れた神社建築で、中世の社殿を近世風に仕立てた好例である。

 康永期の大工は藤□某である。妻飾(ツマカザリ)虹梁(コウリョウ)大瓶束(タイヘイヅカ)で、大瓶束及び頂部の花肘木は禅宗様で、この建物の見どころのひとつである。

 元文期の改修は向拝(ゴハイ)・屋根・軒・(トキョウ)・縁廻を新しくしたもので、本殿は身舎(モヤ)軸部と妻飾などの主要部分に康永期の部材を残している。室町時代康永期の部材として、身舎の円柱12本、長押・頭貫・大斗、妻飾の大瓶束・花肘木があげられる。身舎内部の内外陣境の弊軸(ヘイジク)板戸等も古い部材である。大工は淵垣村の儀左衛門らである。蟇股の形などは江戸時代初め頃のやや古い型板を用いたらしく正統的である。彫物はやや力が足りない。

 中世の年代の確かな部材を多く残し、様式的にも資料的価値が高く、江戸時代中期の修理の様式を伺い得る建物として貴重である。

 

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島万神社の太刀振・太鼓踊

指定年月日

昭和41年9月1日

 太鼓おどり(テンテコテン) 市指定

昭和60年5月15

 太刀振・太鼓踊 府登録

ポイント

・中世末から近世初期の芸能を伝える

・風流踊と振物がセット

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太刀振

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太鼓踊

 祭礼は現在1010日に行われる。傘鉾を先頭に参道を練り込み、拝殿を舞台にして向って右側で太刀振、左側で太鼓踊を演じる決まりで、同時に開始して同時に終るのがしきたりとなっている。

 太刀振は振物またはオンヤーとよばれ、二人一組が棒や刀・長刀で打合う。露払・妻隠し・小太刀・野太刀・小長刀・大長刀の6種がある。年少者が担当する露払から青年が担当する大長刀まで年齢階梯的な仕組みで演じられ、技も後者ほど激しく難しくなる。

 太鼓踊は真発意1人を中心に親発意1人・子発意2人の4人で構成された風流踊である。真発意と音頭は大人がつとめるが、親発意・子発意は少年少女の役とされる。もと13曲を伝えたが、今は長者踊・花の踊など6曲のみを奉納する。

 中世末期から近世初期にかけて流行した芸能を伝える代表的な例として貴重である。

 

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岩王寺本堂・仁王門 附庫裏・鎮守堂

指定年月日

平成7年3月14日 府登録

時代

江戸時代

ポイント

・山寺の景観

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 境内は山寺らしい雰囲気を良く残している。仁王門、本堂、庫裏が直線上に並び、本堂の東側に鎮守社が立っている。庫裏は丹後・丹波地域に多く残る本堂と庫裏を一体にした建物で、江戸時代まで建立が遡る。鎮守堂は一間社流造(ナガレヅクリ)・板葺で、江戸後期の意匠をもつ。装飾の多い凝った造りで、小社ながらみごたえがある。

 

本 堂

時代

江戸時代(享保年間=171635)

規模形式

桁行三間・梁行三間、一重、寄棟造、茅葺

ポイント

・周柱堂式

・茅葺

・阿弥陀堂形式

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 享保3年(1718)の勧進状や享保7年(1722)の祈祷札が打ち付けられていることから、享保年間(171635)に造営されたと判断できる。

 本堂は中規模の三間堂で、簡素な造りある。周柱堂式となっていることは珍しい。基本的には一間四面阿弥陀堂形式を受け継ぐもので、来迎柱の後退、外陣の開放などに発展した形態がみられる。このような仏堂は、丹波地域、特に綾部周辺に多くみられるもので、その中では須弥壇の位置や建具などに古風な仕様をみせている。和様(ワウヨウ)を基本としつつ宗様(ゼンシュウヨウ)手法を取りいれたのが成功している。本堂は門より少し古い頃の建立であろう。

 

仁王門 附棟札

時代

江戸時代(延享2年=1745)

規模形式

三間一戸(サンゲンイッコ)八脚門(ハッキャクモン)、一重、入母屋造(イリモヤヅクリ)、茅葺

ポイント

・古風な組物や蟇股

・雲竜彫物

・茅葺

岩王寺 岩王寺仁王門.jpg

 標準的な規模の門である。内部は土間で、後方両脇間に仁王像を安置している。棟札から建立は延享2年(1745)である。しかし、現状と合わない痕跡をもつ柱や古風な組物・蟇股が多くあることから、延享2年にそれまであった大門を改修し、現状の形態に整備したと考えられる。大工は上杉村の又兵衛である。軒以下本格的な手法で、出組(デグミ)(トキョウ)の板支輪(シリン)を雲竜彫物とするなど装飾もよくできている。

 

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安国寺仏殿・方丈・庫裏(府指定)

山門・鐘楼(府登録)

指定年月日

昭和63年4月15日 府指定・府登録

時代

江戸時代

ポイント

・閑寂な禅宗のたたずまい

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 山門・仏殿・方丈・庫裏・鐘楼・開山堂などがまとまりよく建ち並んでいる。境内も広く、閑寂な禅宗のたたずまいを見せている。現在の堂宇はすべて近世建立のものである。

 

仏 殿

時代

江戸時代(寛保3年=1743)

規模形式

桁行五間・梁間五間、一重、入母屋造(イリモヤヅクリ)、茅葺

ポイント

禅宗様式(ゼンシュウヨウシキ)

・近世風の仏殿

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 梁札銘から寛保3年(1743)に現在の仏殿が建立されたことがわかる。内部は禅宗仏殿の構成要素を巧みに残しながら、全体としては近世風の仏堂に仕立て直している点が注目される。すなわち、来迎柱から正面側柱に大虹梁(コウリョウ)を架けて入側柱を抜くことによって広い空間を造り出している点、四周の化粧軒を疎垂木にし、中央部は常套手段である鏡天井を避けて格子天井を採用している点、虹梁端に通常の絵様(エヨウ)のほかに唐草風の絵様をつけてその部分に緑色の色彩を施す点、中備(ナカゾエ)として彩色した蟇股や竜、寒山拾得などを主題とする彫刻を用いる点など大工の独創性がうかがえる。

 丹波地域を代表する本格的禅宗仏殿建築として価値が高い。

 

庫 裏

時代

江戸時代(寛政6年=1794)

規模形式

桁行14.0m・梁行8.0m、一重・一部二階、入母屋造(イリモヤヅクリ)妻入り(ツマイリ)、北面・東面・西面庇付、母屋茅葺、庇桟瓦葺

ポイント

・大型庫裏

・近世中期の特色

方 丈 附棟札

時代

江戸時代(寛政6年=1794)

規模形式

桁行15.8m、梁行11.0m、一重、入母屋造(イリモヤヅクリ)、桟瓦葺

ポイント

・禅宗客殿建築

・六間取方丈型

安国寺 安国寺万丈・庫裏.jpg

庫裏()・方丈()

 庫裏は方丈と同時に建てられたことが棟札からわかる。平面は棟下通りで二分し、東南に庇で部屋を造っている。二階は奥(ツマ)側に面して六畳間と付書院付の八畳間が並ぶ。屋根は四面とも出桁造にして支え、梁組は半間間隔に梁行梁をわたすというこの地域の民家と共通する手法を用い、小屋組は二重和小屋としている。東面庇の拡張や背面妻側の内縁は後世の改変である。地方寺院の庫裏としては大型で、間取りや二階座敷の存在などに近世中期の特色をもつ。

 方丈は棟札から安永4年(1775)に起工し、天明8年(1788)に上棟、寛政6年(1794)に落成したことがわかる。大工は上杉村の藤田久兵衛であったが、安永9年(1780)に亡くなったため、梅迫の細野太右衛門と四方由兵衛が引き継いでいる。通常の六間取方丈型で、北側の正面と西面に広縁をもち、軒は出桁造である。屋根は当初、急勾配の茅葺屋根であったと推定される。改変はあるものの、当初の形態はよく残されている。近世後期の典型的な禅宗客殿建築として一定の質の高さをもっている。

山 門 附棟札

時代

江戸時代(天保14年=1843)

規模形式

四脚門(シキャクモン)切妻造(キリヅマヅクリ)、本瓦葺、袖塀附属

ポイント

・高い総高

安国寺 安国寺山門.jpg

 やや大型の四脚門(シキャクモン)である。特徴としては男梁上に組物を置いて(ツマ)梁を重ねることで総高を高くしている点があげられる。絵様(エヨウ)などの装飾は時代相応のもので、やや重苦しい装飾の多い意匠になる。大工は天田郡観音寺の大槻由平時秀と亀山(現亀岡市)の田中仙助忠茂である。建立年次、大工等が棟札から明らかな点が評価される。

 

鐘 楼 附棟札

時代

江戸時代(天保14年=1843)

規模形式

桁行一間、梁行一間、一重、切妻造(キリヅマヅクリ)、桟瓦葺

ポイント

・独創的な装飾

安国寺 安国寺鐘楼.jpg

 山門の右手にある四脚鐘楼形式の建物である。出三斗(ミツド)の肘木上端を笹繰状に繰り取ったり、(ツマ)側に中備(ナカゾエ)として鶴の彫刻を嵌めたり、化粧棟を受ける大瓶束(タイヘイヅカ)両脇に唐草状の笈形を飾ったり、懸魚の鰭や桁隠しを波状の彫刻とするなど、大工の独創性が充分発揮されている。大工は白道路村の四方儀平正規である。

 

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絹本著色 天庵妙受像

指定年月日

昭和58年4月15日 府指定

@建武5年の年紀の自賛(ジサン)がある

A別宗匡侍者の依頼により書す旨の自賛がある

B果□の為に書す旨の自賛がある

時代

南北朝時代

寸法

@縦106.2cm 横54.3cm

A縦109.6cm 横56.4cm

B縦99.1cm 横51.6cm

ポイント

・安国寺開山の肖像画

・南北朝時代の頂相(チンソウ)の古例

・写実性にすぐれた描写

安国寺 絹本著色 天庵妙受像B.jpg安国寺 絹本著色 天庵妙受像@.jpg安国寺 絹本著色 天庵妙受像A.jpg

@

A

B

 安国寺には開山である天庵妙受禅師の頂相(チンソウ)(肖像画)が3幅蔵されている。三幅とも(キョロク)に坐わる妙受の姿を描き、妙受の自賛(ジサン)がある。@には建武5年(1338)の年紀があり、製作年代がわかる。他の二幅もほぼその頃の作と思われる。

 法衣をかけた曲彔に坐し、右手に警策をとる全身の頂相で、着衣は朱地に金泥(キンデイ)で花文を表し、袈裟は朱地に金泥双雀文を散らし、白髪をまじえた表情は柔和で微笑をたたえている。妙受の晩年の風貌であろうと推測される。

 自賛のある頂相で、製作年代もほぼわかり、その描写も写実性にすぐれている点、南北朝時代の頂相の古例として貴重な遺品である。

 近年3幅ともに保存修理が施されたので非常によくなっている。

 

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石田神社本殿

指定年月日

昭和61年4月15日 府指定

時代

江戸時代(正徳3年=1713)

規模形式

三間社流造(ナガレヅクリ)、正面軒唐破風・千鳥破風付、(コケラブキ)

ポイント

・軽快な装飾

・手の込んだ彫刻

・近世的手法を取り込む

石田神社 石田神社本殿.jpg

 本殿は正面に軒唐破風、千鳥破風を付ける。身舎(モヤ)組物は出組(デグミ)で、(ツマ)では立体的になっている。正徳期の大工は梅迫村の四方好兵衛政重、その長子小兵衛重頼、次男源兵衛重種の親子である。また、竜の彫物や菊花の籠彫り、正面扉の花狭間格子など、装飾に手がこんでいる。

 綾部では18世紀前半に、三間社流造(ナガレヅクリ)、正面軒唐破風付の神社本殿がいくつか建てられるが、そのなかでも当本殿は装飾の軽快さが目立ち、保存状態の良いものとして貴重である。

 

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石田神社文化財環境保全地区

指定年月日

昭和61年4月15日 府決定

ポイント

京都北部最古の神社本殿遺構を取り巻く鎮守の森

石田神社 石田神社文化財環境保全地区.jpg

 境内は丘陵部の先端にあり、裏側はヒノキ・スギ林、西にはタケが繁る。

 石田神社の西に安国寺が位置しており、安国寺開創後は、その鎮守として推移した。

 本殿は近世的手法を取り入れた装飾の軽快な建物である。境内社の恵比須神社本殿は延慶4年(1311)建立の旧本殿で、現本殿建立時に移動して保存したものと考えられる。京都北部では最古の神社本殿遺構である。

 

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八幡宮本殿 附棟札

指定年月日

昭和60年5月15日 府登録

時代

江戸時代(正徳5年=1715)

規模形式

六間社流造(ナガレヅクリ)、銅板葺

ポイント

・六間社流造

・古式な構成

於与岐八幡宮 八幡宮本殿.jpg

 建立は棟札によると正徳5年(1715)で、大工は若狭大飯郡日置村の一瀬喜兵衛、彫物師は丹州桑田郡余野村の一瀬孤一之助である。社殿は府下では例のない六間社である。平面からみると中央に柱が立つので、三間社を横並びに配した形とも見える。内陣には間仕切りがなく、神座を中央に寄せ、両端が空いている。造りはやや保守的で、身舎(モヤ)正面に弊軸(ヘイジク)板戸が六間並び閉鎖的である。身舎・向拝(ゴハイ)の蟇股は、足元が大きくふくらみ、松・菊・牡丹等の彫物を入れる。向拝中央柱は虹梁(コウリョウ)で抜き、蟇股のかわりに唐獅子牡丹の欄間彫物を加えている。

 昭和10(1935)に若干の補修が加えられてはいるものの、中世の形式を伝えた六間社の形式は興味深い。

 

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黒谷和紙

指定年月日

昭和58年4月15日 府指定

ポイント

・伝統手法による和紙生産

黒谷和紙保存会 黒谷和紙.jpg

 数百年来の伝統手法を守って本来の和紙を生産している。製紙法はカゴ()の皮を原料として、煮熟・水洗い・叩解・抄紙・乾燥などそれぞれ手のかかる伝統的手法によっている。

 黒谷和紙は平家の落人がこの地に隠れ住んで始めたと伝え、江戸時代に入って世に出るようになった。元禄頃(16881704)には領主の谷氏が振興を図っている。その後次第に発展し、傘紙などの厚地紙を中心に生産した。幕末ごろ京都へも進出し、紙質の向上に努め、京呉服に関連した値札・渋紙・畳紙などで知られるようになった。

 近代に入り和紙の需要が激減するなかで、黒谷和紙も衰退した。今日では伝統的な手抄き和紙の技法を維持しながら、近代的意匠をとり入れた民芸品を生産している。書物や版画用紙・葉書・便箋・染紙・小間物加工品など各種各様の和紙を製作している。また、文化財の補修用紙として国の内外から注文もきている。

 

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於与岐八幡宮の祭礼芸能

指定年月日

昭和59年4月14日 府登録

ポイント

・獅子舞・鼻高の舞、田楽(デンガク)

・鎌倉時代京都を中心に盛行した祭礼を伝承

・特色ある宮座(ミヤザ)祭祀の様相

husitei033.jpg於与岐八幡宮 於与岐八幡宮の祭礼芸能.jpg

 獅子舞・鼻高の舞および田楽(デンガク)から成る。祭礼が氏子の株組織と密着し、宮座(ミヤザ)の形をとって伝承されてきたことに特色がある。祭礼は近年では1010日ころに行われる。

 当日は神輿に御霊遷の儀があり、神社の周囲を3回まわる御旅をする。その後、神輿の前で獅子舞・鼻高の舞が奉納される。獅子舞は2人立ちの伎楽(ギガク)系である。鼻高の舞は、白衣に天狗の面をかぶり、小鈴をつけた木鉾を持って1人が舞う。鉾で地面をかきならしたり、足で地面を踏み鎮めたりする所作は国生みの神話を形どっている。これは王の舞(オウノマイ)の一種である。神輿を先導する田楽は、田楽ビンザサラ1・太鼓3で編成する田楽踊のひとつである。王舞・獅子・田楽をセットとする祭礼芸能を伝えているが、いずれも風化が著しい。

 この祭礼芸能のあり方は鎌倉時代に京都を中心に盛行をみたものであり、それをうかがわせる伝承として貴重である。

 

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八幡宮文化財環境保全地区

指定年月日

昭和60年5月15日 府決定

ポイント

中世から続く祭礼芸能、建造物、鎮守の森

於与岐八幡宮 八幡宮文化財保護環境保全地区.jpg

 八幡宮は集落の中央に位置し、短い参道を登ると、境内にはいる。舞台を経て、東西に広く、スギ・ヒノキの高木が取囲んでいる。

 本殿は境内の一段高く奥まったところに鎮座する六間社流造(ナガレヅクリ)の建物で、京都府内では例が少ない。秋に行われる祭礼芸能(獅子舞・鼻高・田楽(デンガク))は鎌倉時代に京都を中心に盛行をみたものをうかがわせ、宮座(ミヤザ)祭祀の伝統を良く残す。

 

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鰐 口

指定年月日

平成3年4月19日 府指定

時代

南北朝時代(明徳元年=1390)

寸法

面径26.0cm

ポイント

・明徳元年四月十六日の刻銘がある

・古様を示す南北朝時代の作品

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表面

裏面

 寺伝では、もともと付近の薬師堂に掛っていたもので、堂が廃されたときに、他の什物とともに宝蔵寺に移されたと伝える。

 鋳銅製。両面とも同文で甲盛が強く、圏線によって三区に分かたれ、中央には撞座を設けず素文であり、古様を示す。目、口唇は同寸の出で、肩部に両面耳を鋳出す。表面外区に当初の刻銘、裏面外区に後刻銘を記す。

 比較的小型の鰐口であるが、撞座を設けない点など古様を示し、南北朝時代の鰐口として注目すべき作品である。

 

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八幡宮本殿(府指定)、一ノ鳥居 (府登録)

指定年月日

平成3年4月19日 府指定・府登録

時代

江戸時代

ポイント

・村の社的雰囲気

 社頭に一ノ鳥居が建ち、奥に本殿が建つ。参道から直線軸状に主要社殿が配されている。

 

本 殿 附棟札・銘札

時代

一間社流造(ナガレヅクリ)、唐破風屋根拝所付、銅板葺

規模形式

江戸時代(文化12年=1815)

ポイント

・中井青龍軒政忠の彫刻

・唐破風造の拝所を付設

・規模の大きい一間社

八津合八幡宮 八幡宮本殿.jpg

 現在の本殿は、文化12(1815)領主藤懸永恵が再建した。一間社としては規模が大きい。大工は播州加東郡来住村の兵右衛門房照ほか2名、地元石橋から3名、西屋村から1名が加わっている。

 中備(ナカゾエ)の彫物は、東側に雲に鶴、西側に水に亀を嵌めて見せ所を造っている。拝所の特徴は唐破風造の拝所を付設している点である。流造(ナガレヅクリ)向拝(ゴハイ)を付けて柱を立て虹梁(コウリョウ)でつなぎ、唐破風屋根をかけた新しい本殿形式を造っている。この形式を備える建物は、丹波地域に分布している点が注目される。合理的でかつ豪華にみせる工夫といえる。屋根は昭和63(1988)に桧皮葺から銅板葺に改められた。

 彫物は脇障子背面の刻銘から、丹波・丹後に数多くの建築彫刻を残す兵庫県柏原の彫物師中井丈五郎の作であることがわかる。各所に散りばめられた彫物群は、虹梁等に彫られた闊達な絵様(エヨウ)と相まって見事な装飾効果を発揮している。とくに拝所正面の中備の唐獅子と牡丹、唐破風内の竜の彫物は躍動感にあふれ、見事である。

 江戸時代後期以降、播州大工と彫物大工中井氏の協働によって本殿建築の装飾化が進展する。当本殿はその成果を示す建物である。拝所を設けることで、より多くの彫物を正面側に効果的に配置することに成功している。文化頃に特有の大らかな絵様等の装飾感覚が、所を得た卓抜な彫刻技術と調和してすぐれた建築を造りあげている。

 

一ノ鳥居

時代

江戸時代(文久2年=1862)

規模形式

木造両部鳥居

ポイント

・木造両部鳥居の好例

八津合八幡宮 八幡宮一ノ鳥居.jpg

 一ノ鳥居は親柱を礎石上に立て前後の控柱で支える形式の大型鳥居である。江戸時代には内鳥居と外鳥居の二基があったようで、現在の一ノ鳥居が外鳥居にあたると考えられる。鳥居の普請に関する記録は宝永元年(1704)、寛延2年(1749)、明和6年(1769)、文久2年(1862)のものがある。確証はないが、材の風化具合からみて、文久2年に再建されたものの可能性が高い。

 綾部から舞鶴にかけて数多く分布する木造両部鳥居の好例といえ、社頭景観上重要な建物である。

 

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八幡宮文化財環境保全地区

指定年月日

平成3年4月19日 府決定

ポイント

谷間にある鎮守の森

八津合八幡宮 八幡宮文化財環境保全地区.jpg

 山麓のスギ林が境内林と一体となり境内全体がスギ木立で囲まれているようにみえる。社頭脇のスギや境内周囲に繁るスギが一際高く茂り、他の村々からも遠望できる。ケヤキやシイの古木などの広葉樹とあいまって鎮守の森を構成している。

 境内は旧若狭街道に面し石階を設け、社頭には一ノ鳥居(木製両部鳥居)が建つ。二ノ鳥居・三ノ鳥居が続き、本殿・拝殿などが建つ。境内地は、奥に行くほど高くしつらえられ、背後の丘陵地形と一体観をなし、村の社的雰囲気を高めている。

 

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木造 随身坐像

指定年月日

昭和60年4月1日 市指定

昭和61年4月15日 府登録

時代

室町時代(応永32年=1425)

作者

林皎圓宗

像高

阿形38.6cm 吽形38.5cm

ポイント

・室町時代の神像彫刻の基準作

・墨書により由緒が明らか

室尾谷神社 木造 随身坐像@.jpg

室尾谷神社 木造 随身坐像A.jpg

 随神は主神を守護する。(ホウ)を着け巾子冠(コジカン)を頂く。膝以下が彫り直されているので当初の姿はわからないものの、両足を垂らしていた可能性が高い。ともに目を瞋らし、口は阿吽の形に造り分けられている。両像とも頭と体をそれぞれ桧の一材からつくり、首枘差しとする。内刳(ウチグリ)は施していない。両像とも欠損部分が所々にみられ、特に吽形像の左後頭部が大きく欠損している。阿形像では左手首先・持物・彩色を後から補い、右手は欠失している。材質の異なる脚部も後補と思われる。吽形像は左手首先・彩色・持物が後から補ったもので、欠落している右手先や脚部も後補と思われる。

 両像とも、全体に神像通有の簡素な作風を示す。体部の形式化が進み、時代の下降を思わせる。各像の像底部及び吽形の首枘底面に墨書があり、製作年代・願主・檀那・仏師・絵師などを知ることができ、室町時代の神像彫刻の基準作のひとつとして注目される。

 

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光明寺本堂

指定年月日

平成6年2月18日 府指定

時代

江戸時代(天保11年=1840)

規模形式

桁行五間・梁間五間・入母屋造(イリモヤヅクリ)向拝(ゴハイ)三間・鉄板葺

ポイント

・大型の密教仏堂

・中世密教本堂の形式

・近世的特色も兼ね備える

光明寺 光明寺本堂.jpg

 現在の本堂は寺の記録によると江戸時代末期の天保7年(1836)頃に再建に着手され、同11(1840)に堂供養が行われた。縁の擬宝珠には天保15(1844)の銘がある。彫物師は当地域に多くの作品がある中井正貞で、老齢に達したためか後継者の名がみられるのが興味をひく。

 本堂平面は明らかに中世密教本堂の伝統を受け継いだ形式である。内陣は四天柱の上に出組(デグミ)をおき小組格天井とし、外陣などの入側に三斗(ミツド)により鏡天井を受けるなど、復古的な手法がみられる。しかし、天井形式や梁組が簡略化され、結界が開放的になるなど、明るく穏やかな雰囲気をもっており、近世的な建築空間となっている。外観は全体に古めかしく、台輪や蟇股、向拝(ゴハイ)装飾に近世らしい装飾がみられるにすぎない。再建当初と較べ外陣の床・後陣の脇壇・屋根葺材が変更されているが、全体としてはよく保存されている。

 丹波丹後の真言宗本堂のうちでは屈指の規模をもち、最も復古的といえる。中世密教本堂の形式を受け継ぎながらも、近世的特色を所々に見せる大型の密教仏堂として、価値が高い。

 

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制 札

指定年月日

昭和63年4月15日 府登録

@嘉吉元年八月廿五日 細川持之禁制案

A文明十年八月十八日 細川政国禁制案

時代

室町時代

寸法

@縦47.7cm 横(上部)31.5cm

 横(下部)32.4cm 厚さ3.4cm

A縦37.5cm 横(上部)30.3cm

 横(下部)31.0cm 厚さ1.8cm

ポイント

・数少ない中世文書史料

・府内の数少ない制札の遺品

光明寺 制札@.jpg

光明寺 制札A.jpg

 制札は、軍事的・政治的権力者が一般の人々に対して、行為を禁止する事項を公示した文書で、通常禁制といわれている。内容は、戦乱による危害から、社寺・人民の安堵をはかろうとしたものが多い。建立場所は社寺の門前や村落の入り口など人目につき易い場所に掲出されるのが通例である。

 この制札も屋外に掲げたもので風化がはげしい。木質は良好とは言えず、節があるなどやや粗雑である。@は丹波国守護であった細川持之が嘉吉元年(1441)に出した禁制で、Aは同じく守護細川政元の後見人であった政国が文明10(1478)に光明寺に出した禁制である。この制札では花押の部分が「在御判」となっており、守護から受け取った正文を寺で杉板に写したのであろう。いずれも軍勢等の乱入狼藉を禁じたものである。@の禁制の出された時期はちょうど嘉吉の乱の最中で、この地方も山名持豊の軍勢が通過している。

 この2面は府内の数少ない制札の遺品として貴重である。

 

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鰐 口

指定年月日

平成3年4月19日 府指定

時代

室町時代(応永17年=1410)

寸法

面径 41.0cm

ポイント

・応永十七年の刻銘

・室町時代初期の作例

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表面

裏面

 この鰐口は本堂の正面に掛けられていたものである。鋳銅製。両面とも同文で甲盛を付し、圏線によって三区に分かたれ、中央には八葉複弁、蓮実、長い蕊を表した撞座を設ける。目、口唇の出は小さく、肩部に両面耳を鋳出す。表面外区に銘文を刻す。この銘文から製作年代、作者、勧進僧がすべて明らかであり、当初から光明寺に伝わったことがわかる。資料的な価値が高く、また大型で、鋳あがりもよく、室町時代初期の注目すべき作例である。

 

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君尾山のトチノキ

指定年月日

平成3年4月19日 府指定

樹勢

胸高幹周10.4m・樹高23m

ポイント

・京都府内最大のトチノキ

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 君尾山(標高582)は綾部市の東北端部に位置し、山麓西北辺は舞鶴市と境を接し、東北方は養老山(標高871)など丹波山地を構成する山々に連なっている。また、君尾山はかつて修験道場として山上山麓に多数の坊舎をかまえた丹波地方屈指の古刹光明寺が所在することでも知られている。君尾山一帯は、杉を主体とする植林が進んでいるが、光明寺境内の山林を中心として、ミズナラやイヌブナなどが優占する落葉広葉樹が残存している。

 地元の通称で「大トチ」と呼ばれているトチノキは、君尾山の山頂から西南方約1kmの西南向き谷筋斜面の中腹(標高400)に位置している。

 主幹は空洞化しているが、西南方向にほぼ水平に張り出した最大の側幹をはじめ、他の数本の大枝には豊富な葉量が保たれ、樹勢は安定している。このトチノキの周囲の山腹は、イヌブナ・アカシデ・タカノツメ・リョウブなど広葉樹が散在し、多数の株立をもつ根まわり5.2mを測るカツラの大木なども目を引く。

 国が指定する天然記念物のトチノキにも匹敵する規模の老樹であり、府内では最大のトチノキとして、その価値は高い。

 

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正暦寺庭園

指定年月日

平成6年2月18日 府指定

時代

江戸時代

ポイント

・枯山水の庭園

・稠密に配された巧みな石組

正暦寺 正暦寺庭園.jpg

 庭園は、本堂の北に接して並ぶ客間(旧位牌堂)と庫裏の西側に、庫裏側からの座視鑑賞を意図して築かれている。南北幅約16m、東西の奥行き約11mの広さを持つ枯山水の庭園で、西辺を限る竹垣の手前に南北に延びる野すじ状の低い築山を主景として配し、立石を交えた50個あまりの景石で築山の輪郭と枯滝を組み上げている。比較的狭い地割に稠密に配された巧みな石組である。

 石組の構成は、最も丈高い立石から組み下ろす枯滝と、それに呼応する形で据えられた低い立石から組み出される枯滝をそれぞれ中心として成り立っている。

 築山外縁から約4m手前庫裏側に離れて、鶴島を意識して配置されたとみられる十数個の石で構成される独立した石組がある。この石組は、本来は長径1.5mほどの楕円形の輪郭をしていたものと考えられるが、現状では、客間の外縁部に近接した東及び南辺の一部が、建物の外壁輪郭に合わせ直線的な土留め石列に改められた形跡がある。庭園東側を画する本堂から庫裏までの建物は、天保年間(183044)の再中興期に建造されたものであり、寺伝ではそれ以後に建物平面輪郭を拡張する増改築はないといわれることから、庭園の築造は江戸時代中期に遡る可能性もある。

 

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私市円山古墳出土品

指定年月日

平成16年3月11日 府指定

時代

古墳時代中期

ポイント

・甲冑(2領)

(ころく)金具(鉄地金銅張り)

・豊富な鉄製農工具

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甲冑

胡簶金具

 出土品には3基の埋葬施設から未盗掘の状態で出土した各種副葬品並びに墳頂部及び墳丘裾部から出土した埴輪、土器がある。

 第1埋葬並びに第2埋葬からは、共に小型仿製鏡、玉類、甲冑類、武器類、竪櫛が出土し、加えて第1埋葬からは胡簶金具、第2埋葬からは刀子及び農工具類が出土した。このうち甲冑類は第1埋葬から鉄衝角付冑、鉄短甲、鉄頸甲及び鉄肩甲が、第2埋葬から鉄衝角付冑及び鉄短甲が良好な保存状態で出土し、武具研究上に資料価値が高い。各々に鉄衝角付冑1頭と、三角板革綴式短甲1領が副葬されていた点で、京都府北部において甲冑を保有する古墳はわずか数例にとどまることから、被葬者の性格を窺ううえでも注目される。また、鉄地金銅張胡簶金具は、ホ具、中円板状金具及びコ字形金具から構成される三連式吊手飾金具で、波状列点文が蹴り彫りされる装飾性の高いもので、類例の少ない同金具の最初期の遺例として貴重である。

 両埋葬施設の築造順は、埋葬施設の位置関係や第1埋葬の鉄鏃にやや新しい様相が認められることから、第1埋葬が後出すると考えられる。

 一方、第3埋葬からの出土品は鉄鏃及び農工具が中心で、第1・第2埋葬と様相を変えるが、その形状は第2埋葬のものと類似することから、時期的にも近似するものと推定される。

 本古墳の築造年代については、円筒埴輪の型式が5世紀後半に編年される点や、第1・第2の両埋葬ともに長頸鉄鏃及び曲刃鎌をもたない点、第1埋葬が鉄地金銅張胡簶金具をもつ点などを勘案すると、5世紀第3四半紀に古墳が築造され、各埋葬に前後関係は認められるものの、同期の中で全ての埋葬が行われたものと考えられる。

 本出土品は質量ともに豊富な一括資料群であり、古墳時代中期の丹波地域における首長の性格を解明するうえで、欠くことのできない重要な資料である。

 

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グンゼの近代製糸産業景観

指定年月日

平成21年3月24日 府選定

時代

大正・昭和・平成

ポイント

綾部市の発展と不可分

近代製糸産業を支えた歴史的建造物群

景観整備が進む町並み

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グンゼ記念館

 由良川沿いには各所に自然堤防が形成されている。水田に適さない自然堤防ではかつて桑栽培が盛んに行われ、この地の養蚕業を支えた。グンゼは旧何鹿(いかるが)郡綾部町出身の波多野鶴吉が明治29(1896)年に「郡是製絲株式会社」を創立したことに始まる。「郡是(グンゼ)」とは創業地の何鹿郡の地場産業である蚕糸業を郡域を挙げて振興させるという郡の方針「郡の是(郡、よかれ)」に基づいている。グンゼの発展は綾部市の近代化と発展に大きく貢献している。

 現在綾部本工場の施設は、工場施設、研究所、社宅群のほか、現在事務所棟として使われている昭和8(1933)年築の本社屋、現在記念館である大正6(1917)年築の旧本社、現グンゼ博物苑である大正期築の繭蔵、グンゼ本工場正門、大正後期築の郡是製糸蚕事所本館など、近代製糸産業を支えた歴史的建造物群が市道を挟んで建ち並んでおり、市道は電線が地中化・歩道が完備され、景観整備が進められている。

 グンゼ記念館は、大正6(1917)年に建築された旧本社事務所で、木造二階建洋風建築の外観を呈し、昭和25年から記念館として使用されている。グンゼ博物苑は、大正初期建築の元繭蔵4棟を外観はそのままに、それぞれ「集蔵・歴史蔵・ファッション蔵・新機能蔵」と展示収蔵内容の特徴を示しながら利用している。桑の苑には世界各地から集めた桑約500品種2000本を育成している。これらの施設は有料で一般に公開されており、平成19年には経済産業省から近代産業遺産「綾部市の製糸関連遺産」に認定されている。

 綾部市青野町に所在するグンゼ株式会社本工場は、綾部市の近代化と発展を物語る町並みを残している。

 

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斎神社本殿

指定年月日

平成22年3月23日 府指定

時代

室町時代

ポイント

・保守的ななかに見える地域性の濃い装飾

・古様を示す部材

・良好に残る当初の部材

DSC_0013斎神社

 全般的に保守的な意匠でまとめられている。ただし、妻太瓶束上を拳鼻付の出三斗とする点、身舎背面側のみ礎盤・粽付き柱とする点、庇木鼻の絵様を彫刻、降懸魚の片面に渦紋を二重に用いる点、などに地域性の濃い装飾もみられる。

 古様を示す部材が多く見られ、向拝部分の柱・肘木・打越垂木・飛檐垂木は大面取りとし、このうち柱の面幅は柱幅の1/8程度とするほか、向拝桁の反りが大きく、打越垂木・飛檐垂木にも反りを付けている。板扉の裏面にはヤリガンナ仕上げの痕跡が明確に残る。

 細部様式などからみて、室町時代中期から後期頃の建築と考えられる。全般的に当初の部材を良好に残している。

 

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八幡宮本殿・幣殿及び拝殿よりなる建物

(附足:境内社2棟、棟札4枚)

 

指定年月日

平成28年3月 日 府指定

時代

江戸時代(嘉永5年=1852)

規模形式

桁行五間・梁間二間、切妻造(キリヅマヅクリ)、銅板葺

ポイント

妻飾(ツマカザリ)の三重虹梁(コウリョウ)

・迫力ある装飾

高津八幡宮 八幡宮本殿.jpg

 現在の本殿は嘉永5年(1852)上棟されたもので、擬宝珠にも同年銘がある。向拝(ゴハイ)の竜彫物に「大阪住、相野徳兵衛、彫刻□」とあり、社伝では大工は桑原平右エ門で、当社完成後大原神社の造営を担当したという。

 本殿の妻飾(ツマカザリ)の三重虹梁(コウリョウ)の壮大さ、拝殿の彫物と一体化した虹梁、支輪(シリン)天井の装飾的効果が優れ、府下有数の迫力のある寺社建築で、みごたえがある。拝殿は桁行三間、梁行二間、入母屋造(イリモヤヅクリ)で向拝一間を付属している。いずれも銅板葺である。

 

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